
仏教の話
仏教の言葉【三学】
仏教の特徴の一つに、修行とか学ぶとかいう心を高めていく成長させていく手法を持っているということがあります。
仏教のその学習手法=修行の最も代表的なものが三学です。すなわち、3つの学習です。
1. 戒:決まりごとを学ぶこと
2. 定:瞑想のうち、集中方法を学ぶこと
3. 慧:智恵を学ぶこと
戒律は仏教入門のときに授かる決まり事です。内容は教団の維持のための規則、学習を進めるために必要な決め事などです。
教団内のトラブル防止だけでなく、こうやった方が修行が進むよね、というものもあります。例えば、音楽禁止です。これはびっくりかもしれません。
瞑想するのに、メロディが頭に残るのは妨げになります。音楽禁止は具足戒のガチな坊さんのためだけです。
普通の人は心配要りません。その他、お酒禁止です。
これは教団内の風紀が乱れるのもありますが、やはり瞑想に悪影響を及ぼすというのがあります。
お酒については日本以外はお坊さんはおおむね禁止です。日本は戒律が緩やかで(具足戒をもたず菩薩戒だけでいいことになっていますので)、お坊さんもお酒は飲みます。でも、瞑想修行の妨げになることは否定できません。
次の定と慧は二つ合わせて止観、つまり瞑想です。定、すなわち、止が変成意識で、瞑想独自の心のあり方です。
慧、智慧は思考とか考察というものです。必ず、変成意識を伴って考察するのが仏教の主たる行です。
智慧すなわち思考や考察だけというのは、ほんとうはありません。
そのような特殊な心のあり方、瞑想を行として行うのが、インド由来の瑜伽の伝統です。
瑜伽はヨガの体操ではなくて、瞑想を意味します。
真宗では戒は菩薩戒という戒律を受ける儀式はしませんが、その内実である菩提心を信心として大切にします。
信心は一種の信仰心です。信心にはじまり、信心に終わるのが真宗です。
菩提心は仏そのもののエネルギーを確かに捉えるという側面もあります。
そのような高い瞑想状態への展開ももちろんあり得ますし、祖師方は皆そういう境地に至っておられます。
そこに至るのが、定と慧、止観。真宗では具体的には念仏を行じます。
念仏すなわち行と、信心すなわち信は分けることなくとらえます。心は一つだからです。真宗の行信は仏教の三学を全て含む力を持っています。